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【点鐘一滴】 青年部行事に刮目/港の歴史を繙く

2012年4月17日 Posted in 会頭所感「点鐘一滴」
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会頭所感 平成24年2月 第177号

青年部行事に刮目

 「青年部なかなかやるじゃないか」は多くの人から聞かされている、熱心さ活発さを評価し、賞賛する声は多く、私自身も自分の若かりし頃を回顧して青春のエネルギーを懐かしく、部員諸君の研鑽と活躍を大いに評価し、期待も止め処ないと言いたい。当所青年部は昭和五十五年九月創立、三十年を超える歴史を刻み、熱心に団結一致し自己の研鑽は勿論、それぞれの年代に確とした業績を残していることに感心させられている。
 一昨年に刊行された青年部三十周年記念誌を繙き歴史を回顧すると、各年代其れぞれに素晴らしい業績を残していると最高の賛辞を贈って止まないものばかり、すでに立派な伝統を培っている、歴代会長は二十人、先達の役割も大変だったろうが、部員全員の研鑽への意欲と団結一致の精進は特に称えなくてはなるまい。我々の期待に十分応えているとも言いたい。事業活動を見るに、ミス坂出の選出は十五代を超え、観光親善大使の役割を十二分に務めえている。最近の事業としては楽市楽座は町興しのエネルギーになっていると評価も高い、中讃地区の中学八校の軟式野球大会、さかいで大橋まつり前夜祭のミス坂出の発表会が人気澤山(さわやま)であるのも嬉しい。今後の部員諸君の活躍と将来の当所を担う人材の生まれることを期待したい。
 斯く述べながら、自分の青春を思い出した、昭和三十二年に坂出青年会議所を設立した当時の情熱と数々の心温まる人達に囲まれて来た自分が如何に最高の幸せ者だったかと感謝しきり。既に幽明堺を異にした惜しむべき友の多いことよ、各人の口癖までを思い浮かべて忘れられない「嗚呼!心安らぐ信ずべき友の有難きかな、亡き友の冥福を祈り感謝は尽きない」と叫ぶばかり。


港の歴史を繙く

 坂出港の振興会議に出席して綾市長さんから東北震災の方々を勇気付ける企画の一つ、日本チャータークルーズが運航する大型客船「ふじ丸」が坂出林田港に寄航することを聞いた。
 港の話になると私にとっても多くの回顧談は止め処なく、長年の「ご当地自慢」の第一だった、市の単独管理は長く続き我らが港と自賛の最たるものと言っても過言ではない。当欄に於いても先々年「坂出港の歴史探訪と喫緊の環境問題」を取り上げたが、その歴史に綴られた数々の先人が精魂込めた努力の数々を忘却しないよう心掛けたいものがある。
 些か旧聞になるが、昭和二十八年当時の坂出市長の浜田専一さんの話によって港の管理を巡って香川県当局との交渉は中々難しかったようだ、結局は当市出身の香川県議会議長津島惣平氏(当所第三代会頭でもある)自らが県議会議長職(昭和二十八年一月二十二日就任後、僅か半年後の同年六月六日辞任)を余人に譲って坂出市単独管理へ県議会の賛同を取り付け纏め上げたと聞いている、この話を思い出すたび「先人が港を如何に大切に育て上げたか」に感服しきり、そうしたことを原点に、後に続いた多く人たちが港を大切に守りあって活用し続け今日の歴史を刻み得ているのだと感動一際。
 最近、市役所担当者に願って取り寄せた坂出港に関する書類のコピー、昭和二十八年六月二十六日浜田市長と金子香川県知事との間で交わされた坂出港管理に関する協定の古い文書には感銘深いものがあった、それによると。
 昭和二十八年三月の坂出市議会の記録にも港の管理者に坂出市がならなければならない理由を浜田市長の提案として、「歴史的に見て坂出市が管理することが当然」とあった、昭和初期人口僅か二万人の坂出町が西埠頭地区に瀬戸内海で初のケーソン岸壁(水深七メートル)を完成、その後も莫大な資金を投じてきたっている、第二に港湾は本市の生命線でもある、市が全力を傾注し管理することが不可欠、等々が記録されている。此れが我が港の原点だと確信した。
 幾多先輩の努力あっての今日の港と賞賛感謝し更なる発展充実を願うばかりである。


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